美少女がいる。

美少女がもうひとりいる。

ふたりの顔貌、体型、髪型、来ている服から靴、アクセサリーに至るまでそっくりだ。
たがいに、この人は自分と同じ姿をしていると思っている。

ひとりの美少女はもうひとりの美少女に尋ねる。

「はじめまして」
そう言って、目の前の子が自分だったらはじめまして、はおかしいなと思う。
「はじめまして」

「あなたはわたしなんですか?」
「あなたはわたしなんですか?」






「あなたはわたしなんですか?」

とてもむずかしい質問だ。

外見からすると、目の前の彼女はそれはわたしであると思える。

しかし、いまわたしはわたしを見ている。
目の前にいるのは確かにわたしだ。

じゃあ、わたしをみているこのわたしはなんなのだろう?

「あなたはわたしなんですか?」
「あなたはわたしなんですか?」

あなたはわたしなんですか?

ちょっと考える。
「わたし」がなんかの理由でふたりになった、もしくはもうひとりが出現して対峙したとする。
「わたし」と「わたし」がいる。
その時点で、ふたりは同一存在たり得ないのではないか。
それぞれの肉体が別な行動を取ることになる。
脳はそれぞれの思考をする。
別々なものを目にする。
それで、それぞれの「わたし」は、異なる経験を重ねていく。その結果、別々の個性を獲得していくのではないのか。
目の前のわたしはわたしではなくなっていくのだ。

ひとつの「人格」がふたつの肉体を別々に動かしていて同じ「意識」を持っているならば、「わたし」は「わたし」たり得る。
でもそんなことはしていないし、できっこない。
自分が向かい合う、自分と何から何まで同じだと思える肉体を動かしてなどいない。

あなたはわたしなんですか?
この問いかけはいろいろな物語を紡ぐトリガーとなるのだ。