小島みなみ×小島みなみ。

自分と自分といる時間。
だけどやることも思い浮かばず、ヒマを持て余している表情を追いかけるシリーズ。

考えてもみてほしい。

自分と自分なのだ。
小島みなみと小島みなみ。
その、ふたりの小島みなみが同一存在が分かれたものだとしたら、同じ人生を過ごして、同じ記憶を蓄積してきたということになる。
そういうふたりが話すのだ。

会話では、〈知っていること〉と〈知らないこと〉について言葉が交わされる。
とくに〈知らないこと〉は重要である。会話の相手から〈知らないこと〉を伝えられることによって知識は拡がって、会話も楽しいものになっていく。
〈知っていること〉だけだと、ふたりは〈知っていること〉しか話せない。
おたがいの脳の中身を確認し合うだけということになる。
2台の、同じ内容を録音したレコーダーを交互に再生する。そんな感じだ。

話すことがないときは、とりあえず笑顔を作ってみます。
そうね、それがいい。

笑顔をうかべていれば、とりあえず、お互いに嫌な気持ちにはならない。
それはナルシシズムの外部化の結果で、ふたり存在することによって、自分を客体として見て、好ましい、と感じるから嫌な気持ちにはならないのだ。

かくしてあいまいな笑顔をつくったまま、何枚も写真を撮るのだ。

 







 




イメージビデオやアイドルビデオと呼ばれる動画作品は、表情を大きく捉える事が多い。
なので、ビデオ画面主体だと、顔のアップの偽双子画像がおおくなるのはしょうがないのだ。
ブルーレイの登場でだんだん変わってきているけれども、アイドルビデオでブルーレイはあんまりない。