同じ子がふたりいる!

わたしが「偽双子」と称している、同一CPとかクローンとかSelfcest、二重身とかドッペルゲンガーとかそういうものを深く愛している。
『かわいらしい女の子と、その女の子と全く同じ姿かたちの女の子が一緒にいるシチュエーション』『まったく同じ姿かたちの二人の女の子が何らかのインタラクティブな交流をしているシチュエーション』を思い描いて耽溺するのが趣味である。

頭のなかの妄想を補強するというか、より具体的に妄想する一助として、画像の加工をしている。

ビジュアルをでっち上げる作業というものも、なかなか楽しい〈遊び〉でどっぷりハマってしまった。
なんというか、ときどき、パズルのピースを適当に選んで組み上げるようなものだという気がする。
イマジネーションの断片(ピース)をはめ込んでいく。

で、スケベたらしいシチュエーションを妄想し、そういうビジュアルも創る。

今回はこの半年ほど断続的に創っている〈いやらしいシチュエーション〉の予告編的なものをお見せしようと思う。
半年くらい、この子で妄想をしている。

彼女はある時、〈自分〉と出会う。

誰なの?
わたし?わたしよ。
え、わたしもわたしだよ。
ということは、あなたはわたし?

などという間の抜けた邂逅。

自分の同一存在を目にしたら、まずはコンタクトを取ろうとするだろう。
慎重に正体を見極めながらである。
意思の疎通が図れたら、会話を取り交わす。

おそらくは、目の前にいる自分に〈触ってみたい〉と思うはず。
恐るおそる。

化けることのできる妖怪かもしれない。
トランスフォームできるエイリアンかもしれない。

実在しなくて、あたしの脳の中にしかいないのかもしれない。

触る方の自分も、触られる方の自分も緊張しているようだ。
なんかぎこちない。

そりゃそうだ。
客体化・可視化した自分に触れる機会なんてなかったわけだから。

大丈夫だった。
自分だった。
触っている自分も自分だった。

自分は自分と打ち解けることができる。

なんというか、
肌を触れ合わせると安心感がある。
落ち着いた気分になる。

自分がふたりになるというのはまずないことなので、いろんな写真を撮る。
会話する。

ちょっとコツが要るのがわかった。
同時に同じことを話してしまうのだ。
同じ人間で、同じ思考回路を持ってて、同じタイミングで言葉にしている。

ということは次を予測して話せばいいのかも。

と、一方が話してる内容の次を考えて言葉にしていく。
すると会話になる。

「自己との対話」って、大学で習った心理学のテキストになかったっけ。
誰かのエッセイにあったのかも。
そうだったかな。

自分の背中やお尻を見る。
これも不思議な体験。

そしてふたりはベッドに。

写真を見て、あとはいろいろ想像してみて。
あなたの想像力次第で、とんでもなくいやらしい場面を想像できるだろうから。