まひろは、まひろにおっぱいくらい見せてもいいかと思いながらも実は自分に見られるのはとても恥ずかしいことなのだと思ったりする。
だって、いつもならばお風呂から上がって、鏡の中の、おっぱいむき出しの自分と目が合うだけでなんとなく恥ずかしいのだ。

恥ずかしいかな。
恥ずかしくないかなと思ったんだけど、自分が自分を見ているというのはなんだか恥ずかしいよ。
そうだね。じぶんなんだけどじぶんじゃないじゃん、あなたって。
あなたっていう言い方おかしい気もするね。じぶんだけど、じぶんの外にいるじぶんだよね。
あたしって、もうひとつ別のからだがあるんだけど、そのからだとはとてもゆるくつながっている感じ。

目がカメラみたいなもので、切り替えできるよね。そっちとこっちと。

じつは、興奮してくると2人のまひろの感覚器官が相互接続されるのだ。

視覚ならば、自分の見ているものと、もう一方のからだが見ているものを切り替えられる。
それは意識的にできること。
イメージとしてはスマートフォンの写真を指でスライドさせて切り替えるところを想像するといい。
一瞬でふたつの視覚が切り替わるのだ。

視覚の交換だけではない。
体のあらゆる感覚も二つのまひろの肉体の間を行ったり来たりする。
一方が快感を覚えると、もう一方のまひろも快感を覚えており、自分の快感にもう片方の快感も乗っかってくる。そういう感じなのだ。
しかも、一方の快感はもう一方の肉体でも体験できるのだ。

快感が行ったり来たりして、表情も崩れていく。

あのさ。
自分の顔ってどう思う。
どう思うって。
こうして外側から見て、どう?

なんかマヌケな顔してるなあたしって、









まひろとまひろの偽双子、めざすは2,000枚。
流石に無理かな。